• 伯母様の聖観音ー高岳院

高岳院開山 始山智訓禅師の命日にあたり、大悲呪をお唱えしました。

来年は、大勢でお経があげられると良いな。

開山 始山智訓禅師

應安元年 八月十日 示寂 (旧暦なので9月10日にお唱えしました。)

1368年・南北朝時代 (2年前が650年遠忌か!)

高岳院の開山は貞治5年。足利尊氏が鎌倉を攻めて十数年後。三宮氏と戦って三宮氏は追いやられたらしい。

比々多神社の宮司さんも北関東の大貫氏に変わる頃かな。後に伯母様と板戸を領地とするのは、布施氏なんだけど、

三ノ宮で布施氏といえば、692年比々多神社に狛犬を寄贈した国司の布施朝臣色布知があるが、時代は随分前。その頃から、布施一族は官僚の様な家系だったと考えられる。

ミステリーは、足利尊氏の家臣にも布施弾正を名乗る布施資連という方がいたのだが、この方と高岳院は関係がないと思われる。

そして、小田原北条氏の48衆の布施弾正康則が伯母様の梅林理香大姉のために高岳院を再建するんだな。伯母様村という地名もできて。

時代的には、上杉家からの養子、三浦義同(道寸)が岡崎城(現在伊勢原市岡崎の無量寺)から油壺まで攻められる頃だよね。

そう言った意味では、高岳院も伊勢原市の史跡になってもおかしくない様な気がするな。

因みに、頭脳明晰な交渉のプロ布施弾正の子孫の方がたは、やはり聡明な方々が多い様に思われます。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。